このページの要点
- 芸能分野の指針は、退所後の競業避止義務等を原則として規定しない(既存の条項は削除する)ことを求めている。
- 期間中も移籍の相談・交渉は妨げず、終了後は承諾なく移籍・独立できる形にする。残すなら特定の紹介案件に絞る。
- 違約金は固定額ではなく、現に支出した育成費の未回収分を、明細と在籍期間に応じた逓減で精算する。
- 引抜きの違約金は、接触だけで推定せず、勧誘の行為を要件にし、本人の意思による移籍を除く。
結論:期間中の専属は明確に、終了後の活動制限は原則として置かず、金銭の請求は実費と算定根拠で組む
タレントの契約で最も紛争になりやすいのは、辞めるときです。タレントの契約書には、契約が終わった後も一定期間は芸能活動をしてはならないとする条、辞めたら育成費を返すよう求める条、引抜きに高額の違約金を定める条など、退所を思いとどまらせる方向の条項がしばしば見られます。しかし、芸能分野の指針は、原則として契約上、退所後の競業避止義務等を規定しないこと(既存の契約で定めている場合は削除すること)を、芸能事務所が採るべき行動として明確に示しました。
立ち上げ期のタレント事務所に向けた提案書でも、専属義務は期間中について明確かつ厳格に定める一方、契約終了後の制限は置かないか、置くとしても期間と範囲を最小限にするという方針をとりました。違約金については、高額の固定違約金の条項は採用せず、現に投下した費用と現に発生した損害の範囲で請求する設計を勧めています。実際には、事務所の側から、終了後一定期間の活動の制限を入れたいという要望が出ることも少なくありません。その場合も、指針の考え方と、終了後の全面的な禁止を無効とした裁判例を説明したうえで、制限の対象を特定の案件に絞るなど、できる限り小さな形にとどめるのが基本です。
このページでは、芸能分野の指針の考え方、業界で見られる終了後の制限の型と書き換え、違約金と育成費の設計、引抜きの禁止を順に整理します。期間中の専属の範囲は専属マネジメント契約のページ、契約期間と解約は契約期間・解除のページをご覧ください。
芸能分野の指針が示した考え方
芸能分野の指針は、退所後に一定期間又は無期限で、一切の芸能活動をしない、他の事務所に役務を提供しない、フリーとして活動するといった活動制限(競業避止義務等)について、実演家の実演という事業活動を直接に制約するもので、実演家が被る不利益の程度は相当に大きいとしています。そのうえで、芸能分野では、基本的に実演のみを行い事務所の運営に関わらない実演家が保護されるべき営業秘密を知ることは例外的だとして、そもそも活動制限を課す必要性・相当性が認められない可能性が高いとし、営業秘密の漏えいを防ぐ必要がある例外的な場合でも、まずは秘密保持契約の締結を検討すべきだとしています。
芸能分野の指針が挙げた主な考え方(事務所と実演家の取引)
| 場面 | 事務所が採るべき行動の要旨 | 問題となり得る行動例の要旨 |
|---|---|---|
| 退所後の競業避止 | 原則として規定しない。既存の条項は削除する。営業秘密を守る必要があれば、まず秘密保持契約を検討する | 移籍や独立をけん制するために競業避止義務を課す。退所する実演家に一定期間フリーになることを求める |
| 移籍・独立の妨害 | 円滑に移籍・独立できるよう適切に対応し、妨害する言動をしない | 契約上、期間中に他の事務所と移籍の交渉を行うことを禁じる。悪評を流布する。手続がまだ行えないなどと退所を引き延ばす |
| 退所時の金銭的な給付 | 求めることがあるなら契約上規定し、算定方法を説明・協議する。必要かつ相当な範囲に限り、算定根拠を示す | 契約に定めがないのに、独立を妨害するために高額の金銭を求める |
指針は注で、専属マネジメント契約の期間終了後に第三者との間で実演を目的とするいかなる契約も締結できないとしていた規定を、公序良俗に反し無効とした裁判例(知的財産高等裁判所令和4年12月26日判決・令和4年(ネ)第10059号)を紹介しています。また、契約終了時に実演家が事務所の損失を補償する趣旨の規定について、事務所がその実演家のためにした出捐(支出)を補償するのに必要な限度で有効とした裁判例(東京地方裁判所平成18年12月25日判決)も紹介しています。終了後の全面的な活動禁止は無効とされ得る一方、実際の支出の補償は一定の範囲で認められ得る、という対比は、契約を設計するうえでの重要な手がかりです。
指針はまた、移籍を受け入れる側の事務所が、引き抜きと見られないように、移籍してくる実演家に一定期間フリーとして活動するよう求める慣行があることにも触れ、移籍のタイミングは実演家の自由な選択に委ねるべきだとしています。退所する実演家に一定期間フリーになることを求めることも、問題となり得る行動例に挙げられています。契約書に「終了後一定期間は他の事務所に所属しない」と書くことは、名前を変えた競業避止にほかなりません。
指針は、退所時の金銭的な給付を求めることがある場合の工夫として、一括での高額の支払が実演家にとって負担になることから、移籍・独立後の収入に漸減していく比率を掛けた金額(算定した額を上限とする)を支払ってもらう、いわゆるサンセット条項にすることや、移籍先の事務所と協議することも検討すべきだとしています。
業界で見られる終了後の制限の型と、書き換え
終了後の制限には、次のような型がよく見られます。
終了後の制限としてよく見られる型
| 契約の種類 | 制限の内容 | 論点 |
|---|---|---|
| 専属マネジメント契約書 | 契約終了後2年間、自ら芸能活動を行い、芸能活動に関する契約を締結してはならない | 芸能活動そのものの禁止で、指針が示した考え方と正面から食い違う |
| 専属マネジメントの利用規約 | 終了後6か月間の同種の契約の禁止、1年間の同種の事業の禁止 | 期間中の条と終了後の条の関係を整理する必要がある |
| 所属タレントのネット活動の支援会社との業務提携契約書 | 終了後3年間、所属タレントの競業行為を許容してはならない | 契約の当事者でないタレントの活動を、事業者どうしの契約で縛る構造 |
| 出演者との業務委託契約 | 契約終了後2年間の競業等の禁止と違約金 | 出演者の他の舞台への出演をどこまで制限できるか |
ライバー事務所の契約書を事務所が全面的に改訂した案件では、こうした型をとらず、期間中の重複登録の禁止はエージェンシー登録の重複を防ぐために必要な範囲に限り、期間中でも将来の移籍や独立を第三者と相談・交渉でき、契約が終わった後は承諾なく移籍・独立でき、事務所は退所金・移籍金・違約金・育成費用の返還を請求しない、と定めました。終了後に残したのは、事務所が紹介した案件の取引先との直接取引の禁止だけで、それも6か月間、当該案件に限り、紹介の前から取引のあった相手は除いています(ライバー事務所の契約のページ)。
書き換えの方向 終了後の制限の条
終了後の活動
芸能分野の指針は、退所後の競業避止義務等を原則として規定しないこととしています。終了後の全面的な禁止を無効とした裁判例もあります。
紹介案件の保護
保護する対象を、事務所の営業の成果である特定の案件に絞ります。期間・対象・除外を書くことで、活動そのものの制限にならないようにします。
期間中のルールを明確にする:出口を開ける代わりに
終了後の制限を置かない設計は、事務所が何も守れないということではありません。提案書の考え方は、出口を開ける代わりに、期間中のルールを明確かつ厳格に定める、というものでした。ヒヤリングシートの注記でも、契約が終わった後の移籍そのものは制限できない、と先回りして説明しています。期間中に事務所が求めてよいことは、次のように整理できます。
- 期間中に他の事務所と重ねて所属し、又は事務所経由とされた種類の仕事を他の事務所経由で受けないこと(専属の範囲)。
- 期間中に他の事務所と新たな専属契約を結ぶときは、その効力の開始を現在の契約の終了後とすること。交渉や相談そのものは妨げない。
- 事務所が進めている案件と利益が相反する仕事を受けるときは、事前に事務所と協議すること。
- 事務所の取引先との契約条件、他のタレントの個人情報など、期間中に知った秘密を、終了後も漏らさないこと(秘密保持)。
芸能分野の指針も、専属義務の期間を一定期間確保する必要があるなら、あらかじめ契約上その期間を明確に規定することを求めています。期間を明確にし、その間の専属の範囲を具体的に書き、終了後は秘密保持だけを残す。この三点で組み立てれば、事務所の投資を期間中の活動で回収するという筋道と、タレントの移籍・独立の自由が両立します。期間の決め方は契約期間・解除のページで扱います。
違約金の設計:固定額から、実費と実損へ
違約金の条は、事務所が「辞めさせない」ための道具として使われがちです。しかし、立ち上げ期の事務所に向けたヒヤリングシートでは、「辞めさせない」設計は、労働者性の観点からも、公序良俗の観点からも、公正取引委員会の動向の観点からも問題があり、そもそも執行もできない、と注記しました。タレントが労働者と評価されると、違約金や損害賠償額をあらかじめ定める契約は労働基準法16条で禁止されているため、固定の違約金の条項は使えなくなります(諾否の自由と配信ノルマのページ)。
違約金の条には、次のような型があります。
違約金の条でよく見られる型
| 型 | 内容 | 論点 |
|---|---|---|
| 早期解除の違約金 | 締結後6か月以内の自己都合による解除に、モデル・衣装の制作費を含む違約金 | 実費の補償として説明できるかどうか。制作費の額の示し方 |
| 上限内での事務所の決定 | 上限額の範囲で事務所が合理的に決定し、繰り返し請求できる | 金額の決め方が事務所の判断に委ねられ、タレントが予測できない |
| 禁止事項違反の違約金 | 額は過大でないが、禁止事項が広いため軽微な行為も対象になる | 違約金の額だけでなく、対象となる行為の範囲が問題になる |
| 報酬の倍数の違約金 | 報酬の10倍や最低額を定める(個人の依頼主との契約) | 消費者契約法9条1項1号・10条の対象になりやすい |
個人でVTuberとして活動する方のレビューでは、違約金の額自体は過大でないものの、禁止事項が広すぎるため、軽い行為でも違約金の対象になってしまうと指摘しました。違約金の条を見るときは、額と同時に、どの行為が違約金の対象になるのかを確かめる必要があります。
民法420条は、当事者が債務の不履行について損害賠償の額を予定でき(1項)、違約金は賠償額の予定と推定されると定めています(3項)。予定した額が著しく過大であれば、公序良俗(民法90条)に反するとして一部が無効とされることがあります。提案書が勧めたのは、違約金を固定額で定めるのではなく、育成費については「現に支出した費用」の範囲で精算する条を置き、領収書や記録を残す運用とセットにする、という設計です。
育成費の精算(実費型の例)
1乙が契約期間の満了前に自己の都合により本契約を解約したときは、甲は、乙のために現に支出したレッスン費、制作費その他の育成のための費用のうち、未回収の額の精算を乙に求めることができる。
2甲は、前項の請求をするときは、費目、金額、支出日及び回収済みの額を記載した明細を示し、領収書その他の根拠となる資料の閲覧に応じる。
3第1項の精算の額は、乙の在籍期間に応じて逓減するものとし、その割合は別表に定める。
第3項の逓減は、芸能分野の指針が示す「合理的な範囲での育成等費用の回収」と、サンセット条項の考え方を取り入れたものです。
育成費の返還と、指針の考え方
芸能分野の指針は、事務所が育成のために投じる費用(育成等費用)には、レッスンの費用のように技能を直接高める費用だけでなく、合理的な範囲で、実演家を売り出すための宣伝費など、実演家のパブリシティの価値を高めるための投資も含まれるとしています。そのうえで、合理的な範囲での回収にあたっては、実演家が大成しなかった場合など事務所が常に全額を回収できるとは限らないこと、実演家の能力や顧客吸引力は本人の努力と事務所の企業努力の総和であることに留意する必要があるとしています。
問題となり得る行動例として、デビューまでに生じたレッスン費用や交通費などの経費を、十分な協議をせずに実演家に負担させることも挙げられています。育成費を返還の対象にするなら、何が育成費に当たるのか、いつ、どの程度回収したのかを、契約と明細で説明できるようにしておく必要があります。指針は、合理的な範囲を考えるにあたって、実演家が相当の期間所属してすでに事務所の貢献に見合う収益をもたらしている場合や、退所後も事務所が実演家の権利から収益を得られる場合などの事情も考慮すべきだとしています。在籍期間に応じて精算の額を減らす条は、この考え方を契約に落とす方法の一つです。練習生の段階の費用は未成年・練習生のページで扱います。
ヒヤリングの問いと理由 退所時の金銭の請求
退所時に、育成費などの金銭を求めることがあるか。
求めることがあるなら、契約上あらかじめ規定し、どのような場合に求めるか、算定方法を書いておくことが、指針の考え方にそった形です。
育成費として何を記録しているか。レッスン、制作、宣伝のどこまでを含めるか。
費目ごとに記録を残していないと、退所時に算定の根拠を示せません。
在籍期間に応じて、請求できる額を減らしていくか。
長く在籍し収益を上げてきたタレントにも同じ額を求めると、合理的な範囲を超えるおそれがあります。
引抜きの禁止と、秘密保持で足りる場面
ライブ配信の事務所が紹介者やスカウトと結ぶ契約には、クリエイターの引抜き1名ごと・1件ごとに違約金を定め、接触したことをもって違反を推定する条や、契約終了後の引抜き・連絡の禁止に固定の違約金を定める条が見られます。引抜きの防止は事業者どうしの契約では一定の合理性がありますが、「接触」だけで違反を推定すると、所属のライバーが自分の意思で移籍した場合まで違約金の対象になるおそれがあります。推定を置くなら、勧誘の行為があったことを要件にする、ライバー本人の申出による移籍を除く、といった限定が必要です。
また、芸能分野の指針は、実演家を担当していたマネージャーが実演家とともに退所する意思を持っているのに、マネージャーの転職を禁止したり、マネージャーが関与しないことを移籍の条件にしたりして、実演家がマネージャーと一緒に移籍・独立するのを妨げることを、妨害行為の一つとして挙げています。スタッフとの契約に置く競業避止や引抜き禁止の条が、結果としてタレントの移籍を妨げる形で使われないよう、目的と範囲を書き分けておくことが大切です。
なお、企業がタレントやインフルエンサーを広告に起用する契約で、競合する商品の広告に出ないよう求める条(競合排除)は、事務所とタレントの間の競業避止とは性質が違います。事務所の書類では、業界団体が所属アイドルをイメージキャラクターに起用する契約で、契約期間中、他の地域の同種の団体の広報活動をしないこととした例や、求人サービス会社がインフルエンサーに宣伝を委託する契約で、終了後1年間、競合他社との広告契約を禁じた例がありました。広告主にとって、同じ時期に競合の顔として出られては困るという事情は理解できますが、終了後に及ぼすなら、対象の商品・業種と期間を絞り、その分の対価を報酬に織り込んでおくのが筋です(起用・出演・PR案件のページ)。
営業秘密を守りたいのであれば、指針がいうとおり、まず秘密保持の条で対応します。VTuberのプロジェクトの秘密保持契約のレビューでは、秘密情報を包括的に定義し除外事由で限定する方法は有効だが、個人に対する制限が広すぎると範囲を縮めて解釈されたり一部が無効とされたりするおそれがあるとして、合理的な範囲に画定するよう提案しました(VTuberのページ)。
移籍制限・違約金で起きがちなこと
よくあるご質問
辞めた後、別の事務所に入ってはいけないと書いてありました。従わなければいけませんか?
芸能分野の指針は、退所後の競業避止義務等を原則として契約に規定しないこと、既存の条項は削除することを事務所が採るべき行動としています。専属マネジメント契約の終了後に実演を目的とする一切の契約を禁じた規定を、公序良俗に反し無効とした裁判例(知財高裁令和4年12月26日判決)もあります。
違約金は、契約書に書いてあれば必ず払わなければなりませんか?
必ずとは限りません。違約金は損害賠償額の予定と推定されるものの(民法420条3項)、額が著しく過大なときは、公序良俗に反するとして一部が無効になることがあります。タレントが労働者と評価されれば、違約金の定め自体が労働基準法16条で禁止されます。相手が個人の消費者なら消費者契約法9条1項1号・10条の規制もあります。
育成費を返せと言われたら、どうすればよいですか?
まず契約に育成費の精算の定めがあるか、算定方法が書かれているかを確認します。芸能分野の指針は、退所時に金銭を求めるなら契約上規定し、算定根拠を示して協議すべきだとし、デビューまでのレッスン費用などを協議なく負担させることを問題となり得る例に挙げています。費目・金額・回収済みの額の明細を求めるのが出発点です。
引抜き禁止の違約金は、いくらまでなら有効ですか?
一律の上限はありません。額が実際に想定される損害に比べて著しく過大であれば、一部が無効とされることがあります。額だけでなく、何をもって違反とするか(接触だけか、勧誘の行為か)、本人の意思による移籍を除いているかが重要です。
契約期間中に、移籍先の事務所と話をしてもよいですか?
契約しだいですが、芸能分野の指針は、契約上、期間中に他の事務所と移籍の交渉を行うことを禁じることを、移籍・独立の妨害行為の一つとして挙げています。事務所の改訂例でも、期間中であっても将来の移籍や独立を第三者と相談・交渉できると定めました。
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